カイロプラクティックの歴史

当院では北九州市小倉北区からもカイロプラクティックはD・D・パーマーと言う名前の方が今から100年以上前に発明した治療法です。

ダニエル・デイビット・パーマー

しかし、パーマーが発明する前にも色々な文献が残っていて古代ギリシャのヒポクラテスが寝かせている患者の背骨を扱っているイラストが残っているくらいです。
ヒポクラテスは現代の医学の父と言われている方です。
そして、発明王のアインシュタインも、先将来の医者は薬を使わずに患者の体を治すことになるだろうと言っています。

カイロプラクティックとは

つまり、アインシュタインもカイロプラクティックの患者の一人と言う事だと思います。
背骨の解明は難解でした

しかし背骨というのは簡単であって簡単ではないので今まで多くの方が背骨を研究して考えてきましたが、実際に本当の意味で背骨の研究をしたのがパーマーが初めてでした。
背骨に注目しながら、意味も分かっていなかったということで歴史は流れていきましたから、パーマーがカイロプラクティックを発明して道を作ったと言うことになります。

人の体を構造的にみると、2本足で立つというのを初めから考えていない状態で作られています。
初めの4足歩行が一番自然なんですが、進化の過程で2足歩行になっていった関係から無理がかかる背骨になりました。

背骨にとって一番は横なんですが、縦に背骨がなって負担が大きくなったと言われています。
2足歩行になったために北京原人なども腰痛が起きていたということも考えられています。

ダニエル・デビット・パーマー

ダニエル・デビット・パーマーは1845年3月7日にカナダのオンタリオ州ポートベリーに生まれました。
20歳の時に生まれ故郷を出てアメリカのイリノイ州ニューボストンに移住しました。そこで治療院を開いて、磁気治療をして生計を立てていました。
治療院で治療しながら、この時のパーマーは素朴な疑問からある課題に没頭していきます。

この課題と言うのが、

●同じ親から生まれた兄弟でも風邪をひきやすい子供や体が弱い子供が生まれるのか????
●人の体の中で、ある内臓は病気になって、他の内臓は病気にならないのか????
●そして薬を使う医療にも疑問を持っていました。薬は飲んでも、全身に効いて、悪い所だけいく薬はありませんから。どうして悪くない所も、薬を飲ますのか???

パーマーは真面目な方でしたので、この研究に集中していく日が続きました。
そんなある日1885年アイオワ州ダベンポートに移り住みました。この町のストリートの角にあるビルの4階に治療院を構えながら、さらに研究する日が続きました。

治療院を続けながら研究する日々でしたが、ある時、帰ろうとしたら、管理人兼掃除人のハーベィ・リラードと言う方が掃除に現れました。

カイロプラクティック創世記

パーマーは帰える所でしたので、掃除を頼むと言って帰ろうとしました。ふと、管理人の横を通り過ぎようとしたら、首に出っ張りみたいなものがあることに気がつきました。
ハーベィ・リラードは耳が不自由でした。全く聞こえないわけではなく難聴程度でした。
首の出っ張りが、いつからのものなのか聞くと数年前からということでした。

そこでパーマーは、首の所を見せてもらう事にしました。 ベットに寝てもらい首の所を観察すると、確かに不自然な出っ張りでした。 そこでパーマーは軽く押しても良いかと聞きました。
快く了承をえて、押してみると、ボキッと音がして出っ張りが減りました。 パーマー本人も驚きましたが、管理人もビックリでした。

初めての矯正


そうしている間にも、管理人の耳の聞こえ方が良くなって、耳が聞こえると言い出しました。
これが、初めての創始者によるカイロプラクティックの矯正(アジャストと言います)でした。

もうしばらくして原因不明の心臓病の患者がパーマーのもとを訪れました。

数件の病院で検査しても症状を訴えるのに検査しても、異常なしと言うことでパーマーのもとを訪れたそうです。
パーマーは、この方の心臓病も背骨を矯正することで治しているそうです。
この事がなかったら、カイロプラクティックは日本の整体と同じで発展しませんでした。
パーマーは、ここから研究を重ね今のカイロプラクティックの発展のもとになっています。
パーマーの友人であるレバーランド・サミュエル・ウィードは語学学者でしたので、どう言う名称を付けたら良いかと言うことを聞いてレバーランドがつけた名前が、カイロ(ギリシャ語で手と言う意味・cheir)と技術を意味するPraktosの造語で作られたのが、カイロプラクティックです。
つまりカイロプラクティックは、「手の技」とか「手の技術」という意味があります。

1896年1月14日にカイロプラクティックと言う治療法が誕生しました。

パーマーの時代からパーマーが亡くなって、息子の事態になっていきます。

パーマー親子

息子はB・J・パーマーと言います。

息子のパーマーになってから、カイロプラクティックは、父のパーマーについていた派と息子派に分かれてしまいます。

色々な苦難ののち今のカイロプラクティックになっています。
今では法律で認められているカイロプラクティックの治療は世界的に及んでいます。

アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージランド、ノルウェー、スイス、南アフリカ、イギリス、デンマーク、などなど多くの国が公認しています。
しかし、日本においてカイロプラクティックは民間療法なので国が公認していませんし、法律もありません。

まず、第一に、お医者さんが反対していますし、鍼灸、マッサージ、整骨院の団体も反対しています。

献金などが多い団体の反対で、いつまでもカイロプラクティックは野放し状態です。ですからエステと同じような扱いです。

当院の院長は東京のカイロプラクティック協会に所属しています。名称の略称はPAACと言います。正式名称は、パシッフィック・アジア・アソシェーションと言う団体ですが、アメリカのSORSIと言う団体と姉妹協会になっています。つまり、本場、アメリカの団体に認められた教会というわけです。

もう正会員になって15年以上たちます。
PAACは東京の池袋になります。院長も何度の行ったことがあります。